今回は、動物の名前がついている坂を中心にご紹介します。
始めは「狸坂」です。
麻布一本松から西へと下る坂道で、かなりの急勾配です。
『狸坂』 (たぬきざか)
人をばかすたぬきが出没したといわれる。旭坂ともいうのは東へのぼるためか。
坂脇にあった大榎の洞穴に、狸の親子が棲みついていたのが坂名の由来ともいわれています。
途中には土地柄から「インターナショナルスクール」があります。
狸坂を下ると三叉路に出ます。
左の道に進むと「本光寺」があります。
『本光寺』 (ほんこうじ)
寛永元年(1624年)に開山し、天明二年(1782年)に現在の地に移築されました。
その先から道は上り坂になり、湾曲しながら次第に勾配が急になります。
「狐坂」です。
『狐坂』 (きつねざか)
港区元麻布二、三丁目境で長玄寺前へ下る坂。昔はさびしいところで、狐が時々人を化かしたという。
狐坂の途中には高級分譲マンションがありました。
タワーマンションではなく、石畳の街路を挟んで建ち並ぶ低層のマンションです。
「中国大使館」も狐坂の途中にあります
狐坂を上ると「通称・テレビ朝日通り」に出ます。
『専称寺』 (せんしょうじ)
テレビ朝日通りにあるお寺です。開山は寛永七年(1630年)です。
新選組の沖田総司の墓があることで知られていますが、現在は非公開です。
その先は「六本木ヒルズ」です。
南端にある「さくら坂公園」には「乃木大将誕生之地」の石碑があります。
この石碑は北日ヶ窪児童遊園内に建立されましたが、六本木ヒルズの再開発事業により北日ケ窪児童遊園と六本木公園を統合して作られたこの公園に移設されました。
テレビ朝日通りを南下すると「北条坂」「鉄砲坂」があります。
『北条坂』 (ほうじょうざか)
坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったために、この名がついた。
『鉄砲坂』 (てっぽうざか)
江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習所があったことからこの名がついた。
鉄砲坂の坂下は「外苑西通り」です。
ここにはかつて「笄川」(こうがいがわ)が流れており、「笄橋」(こうがいばし)が架かっていました。
「江戸名所図会」にも描かれた橋ですが、名前の由来は、青山付近にかつて国府方(こふがた)という地名があり、その谷間をわたる橋ということから「国府が谷(や)橋」と称され、そこから「こうがい橋」と呼ばれるに至ったとあります。
外苑西通りを渡ると「牛坂」があります。
『牛坂』 (うしざか)
源経基や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。
古代の交通路とは「鎌倉街道」などと称された街路です。
周辺は西麻布の高級住宅地で、その中を貫くように下っています。
坂の途中には教会もあります。
『狸坂』 (たぬきざか)
東京都港区元麻布2丁目11番、3丁目13番のあいだ
『狐坂』 (きつねざか)
東京都港区元麻布2丁目、3丁目のあいだ
『牛坂』 (うしざか)
東京都港区西麻布4丁目10番、4丁目11番のあいだ
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2022年11月15日