前回の記事【虎二郎の雑学日記】増上寺編 ③の続き。
話を増上寺に戻したい。脱線は筆者の得意技と心得ていただけると助かります。
日本人で「忠臣蔵」を知らない人は、まあ少ないだろう。
しかし、吉良上野介が浅野内匠頭にいじわるした舞台が、この増上寺だということを知る人は少ない。
浅野は江戸に下向する勅使をお迎えする役を受け持つのだが、
この勅使が増上寺を参詣したいと言い出す。
当時の礼として、この場合増上寺の畳替えをしないといけなかったのだが、
この作法を吉良が浅野に教えなかったのだ。その後の殿中刀傷事件のきっかけと言われている。
また、地名ともなっている「大門」は、まさに増上寺の旧総門のことを指す。
この所有権問題がつい最近解決したことをご存知だろうか。
増上寺から東京都に返還を求める動きはあったのだが、長く東京都はこれに応じなかった。
そのため門の老朽化が進み、東日本大震災時に河原が落ちたことから(所有権を確定させないと誰も補修しないので)
安全性に疑問符が付き、東京都の再調査によって(武士の情けで理由は伏せる・笑)2016年に増上寺に返還されるに至ったのである。
本編雑学考として最後の話題とするが、近年著名人の葬儀がこの増上寺でもよく行われるが、
これは亡くなった著名人が浄土宗ということが理由ではない。
現在の東京において、大葬儀が行える場所は、青山葬儀場、築地本願寺、そしてこの増上寺くらいなのである。(完)
虎二郎
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2018年6月5日