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【虎二郎の雑学日記】増上寺編 ③

前回の記事【虎二郎の雑学日記】増上寺編 ②の続き。

 

話を増上寺に戻す前に、しばし「徳川家」についての雑学を披露したい。

 

NHKの大河ドラマで採り上げられる時代が示すように、日本人の多くは戦国から織豊時代、そして徳川幕府の成立までの時代と幕末の時代を歴史として好む。そして、傑物が生まれたから時代が変わったのか、それとも変わり行く時代が傑物を生むのか?我々が生きる今という時代を未来の人たちはどう見るのだろう?

 

日本人が好む「時代」には徳川が絡む訳だが、増上寺に繋がる話としてとても興味深い問題がある。家康が幕府開祖として、その遺体を日光東照宮(はじめ久能山東照宮)に葬られているのは理解できるが、なぜ二代秀忠が増上寺なのに家光は日光輪王寺なのか?

 

これは、家光の遺言によるもので、家光は「寛永寺にて葬儀を執り行い、家康の眠る日光東照宮に添うように葬れ」と残したのです。豪華絢爛という意味では、日光輪王寺は質素な佇まいではあるものの、実は奈良時代に建立された由緒ある寺である。ちなみに、日光輪王寺も天台宗派。

 

その家光の子供である四代家綱、五代綱吉が寛永寺に眠ったところで、芝の増上寺から「待った!」が掛かることから面白くなる。実は、六代家宣と七代家継は親子であり、かつ本家筋から一度は外れた甲府藩主の子供達なのだ。

 

最近、「私はあなたと同じお墓には入りたくない」という奥様方が多いと聞く。なんて我侭なと思うところもない訳ではないが、将軍だってこんな感じだった訳だ。(続く)

虎二郎

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2018年5月25日