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港区の坂シリーズ『南部坂(なんぶさか)』

ご紹介するのは『南部坂』です。港区には『南部坂』という名称の坂が2カ所存在しますが、両方とも名称の由来は南部藩に因みます。今回は赤坂エリアにある方の南部坂です。

赤坂二丁目~六本木二丁目をアメリカ大使館宿舎わきを西北に上り、左折してさらに氷川神社のほうに上る坂である。坂の名称は江戸時代初期、近隣の氷川神社の辺りに南部家の中屋敷があったことに因みます。

ようやく車が通れるほどの道幅しかないため交通量は少ない坂道です。

歌舞伎・講談などの『忠臣蔵』

 

「南部坂雪の別れ」

主君の仇討を決意した大石内蔵助が、雪の中を南部坂の坂上にある屋敷に身を寄せていた主君の妻である瑤泉院(ようぜいいん)を訪れて、最後の別れをつげるという話です。

江戸時代前期に盛岡藩南部家の中屋敷があったためといい、「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。

 

『南部坂』の名が刻まれた石碑があります。

 

『南部坂』を上ると『アメリカ大使館宿舎』があります。

『アメリカ大使館宿舎』(東京都港区六本木二丁目)

 

 

『氷川神社』 (赤坂6-10-12)

 

『氷川坂』 (赤坂6丁目8番、6丁目10番の間)

八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社の東横を北に下る坂である。土地の人のいい伝えでは、明治時代のはじめには無名だったこの坂を、氷川坂と呼んでいたという。

 

『転坂』 (赤坂6丁目5番、6丁目9番の間)

江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時、盛徳寺横の本氷川坂(元氷川坂)もころび坂といった。

 

『檜坂』 (赤坂6丁目19番、9丁目7番の間)

江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた現在の山口県の大名・長州藩毛利家の屋敷(現在の檜町公園)に添う坂であった。

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2024年7月17日